China Open Rowing 2017に参加して


このたび、2017(平成29)年7月30日(日)に中国・黒竜江省ハルビン市の松花江特設コースで開催された第2回のChina Open Rowingに、京都大学(京大)ボート部の男子エイトメンバーとともに参加してまいりました。そこで見聞きしたことをレポートいたします。

このレポートを執筆するにあたり、読んでいただく皆様にお断りせねばならないことがあります。以下、私が記す内容は、伝聞から得たものがほとんどです。残念ながら中国語ができる者が一行のなかにいなかったこと、主催者から出るオフィシャル文書はまずほぼ存在しなかったこと、あってもすべて中国語であること、そして翻訳してもほぼ既知の(役に立たない)情報であったこと、がその要因です。つまり、このレポートに書かれている「見聞したこと」は、信頼できる資料に基づいていません。ですので、このレポートはあくまで現地ルポ、読み物でしかありません。それでもこれを執筆する考えに至ったのは、日本ボート協会国際委員長(千田隆夫氏)の励ましによるものが最大の要因、それに付加して、私の見聞した「変わりつつある中国ボート界」についての所感を、興味をお持ちの方々にせんえつながら共有すべきと感じたからです。以上をご理解たまわったうえ、どうか駄文にお付き合い願えれば幸甚です。

(プロフェッショナルコーチ 杉藤洋志(京都大学ボート部/瀬田漕艇倶楽部)


1、China Open Rowingとは

現地に行って、「こういうことかな」とようやくわかった部分でしかありませんが、記します。深圳市に本部のある「深潜」(Deep Dive/Deep Dive Rowing Clubとも称する、後出の許思豪コーチによれば、Clubというよりも収益企業としての「Rowing Company」であるとのこと)が主催し、中国国内へのRowingの普及を狙って昨年から新設・開催している大会。海外のチームを自己資金で招待し、大会の箔付けや活気の演出とともに、競技の様子を中国社会に「見せる」目的があると思われます。それがなぜ地方都市のハルビンなのか、はわかりません。京都大学はその招待クルーの一つとして、昨年に引き続き日本から唯一参加しました。

開催種目は5種目でした。大学男子エイト、マスターズエイト(男・女)、マスターズクオドルプル(男・女)です。京大クルーは大学男子エイトに参加しました。この時期は、大学の試験の時期でもあり、対校エイトでは臨むことができませんでした。試験がほとんどない4回生が主体、漕ぎ手の半数が対校エイトメンバー、そのほかは第2クルー以下などから補充したいわば「1軍半」のクルーでした。これは、日本の現在の学制から、この7月下旬の時期であればそうならざるを得ないでしょう。事実、昨年同時期に四川省成都で開催された世界有名大学競賽会(International Famous Universities Rowing Cup)にも許コーチを通じて京都大学に参加の打診がありましたが、試験の関係で選手が揃わずに断念し、東北大学に参加していただいた経緯がありました。ちなみに、今年もこの成都の大会は開催されていますが、日本からの参加はありません。こちらの大会は、どうやら主催者が欧米オセアニアの強豪大学(今年の参加クルーはSydney、Otago、Stanford、Londonなど)を招待対象に絞ったようです。

2、なぜ京大が招待を受けたか

昨年は、杉藤の個人的な知り合いである香港大学の許思豪コーチがこの大会のプロモーターとして、招待クルーとのやりとりを一手に引き受けており、その関係で参加に至りました。今年は、6月初旬に、許コーチからとほぼ同時に、日本ボート協会国際委員会からも参加の打診を受けました。どうやら、大会プロモーターとして、許氏(香港人、大学ボート部コーチ)と李氏(韓国人実業家、国際ボート連盟(FISA)役員、アジアボート連盟(ARF:Asia Rowing Federation)会長付きシニアコンサルタント)の2氏をDeep Diveが雇用し、その2氏から別々に打診が来た、ということであるようです。2氏とも以前から面識があったのですが、それぞれが「当方が正当な代理人である」と主張されたこと、主催者自身には連絡の方法がないこと、には閉口しました。打診が6月初旬というところに、「間違いじゃないの?」と思われたかもしれません。昨年は、試合が7月初旬であったのに対し、打診は同時期、すなわち1カ月前を切るくらいのタイミングでした。これが中国スタイルなのかもしれません。さて、2氏のそれぞれのルートで別々のチームに打診しなかったことは不幸中の幸いであったかもしれません。実務的なやりとりは李氏が引き受けてくださいました。李氏がプロモーターとして動いた結果、FISAの人脈が生かされてのことでしょう、国際レースの現場で見かける顔も多く見られました(単に、昨年よりも予算規模が増えて招待されたクルーが増えただけかもしれません)。

そもそもなぜこのような大会が創設され、日本のクルーだけでなく多くのクルーが招待されたか、に関して、事実かどうかはわからないまでも私の所感・考察を後述します。

3、会場、設備など

会場は、ハルビンの市街地からは松花江を挟んだ対岸沿いにありました。対岸といっても、松花江が日本では考えられないスケールの大河で、正直どう表現しても伝わりきらないと思います。ハルビン市街地から望む「対岸」は、実は太陽島という巨大な中州です。その向こうにも川のなかに大きな島が点在し、市街地の反対側であるコース周辺はどこが川で、どこが湿地で、どこが島で、どこが河跡湖なのかわからないような場所でした。コースにはほんの少しの流れがあり、それでようやくここが川の一部であることがわかる、という程度でした。ここに、1000mコースが特設されていました。昨年はほぼ1000mだったようですが、今年はCoxがGPSで実測した値で900m程度しかなかったようです。しかも、昨年とはコースの進行方向も逆になっていました。これは、艇庫からゴールの見えやすさを考慮したと思われます。ここも、Deep Dive RCの拠点の一つであるようです。艇庫は恒久的といっていいと思います。基礎は強固に形作られていましたが、基本的にはテント素材の屋根を張っているだけなので、その下のアームは風が吹き抜けで、機材などは泥とホコリがこびりついていました。

機材は、このハルビンの艇庫に常備されているものだけでなく、Deep Diveが所有するものを別の場所(どこかは不明)からも持ち込んでいたようです。レース後はオールなどの撤収作業が延々続いていました。艇は「武漢賓廠」と書いた艇とPEISHENG艇が4割ずつほど、ほかはWUDI(中国国外ではおもにWINTECHブランドとして売られている)がいくつか、という感じでした。京大クルーはWUDIのInternationalグレード、アルミウィングの艇、使用できる機材のなかではほぼベストといるものをお借りすることができました。オールはほとんどがWUDI製でした。日本では見たことのないようなもの、試作品なのかな?と思うようなオールも混在していました。グリップの滑り止め素材が初めて目にするようなもの、ブレードピッチを大きく前傾させているもの、ピボットの素材が特殊でほとんどが割れてしまっているもの(たぶん早々にこの素材は使われていなくなった)、などです。コンセプト2社のものはチラホラあるくらい、クローカー社のものはスカルオールに数セット見られたのみでした。

4、出場クルー

主な出場クルーは、以下の通りでした。

大学エイト(男子のみ)

京都大学、ケンブリッジ大学(英)、国立ソウル大(韓)、インドネシア教育大学、マレーシア理工大学、チュラロンコン大学(泰)、シンガポール大学、マカオ大学、嶺南大学(香港)、ほか中国国内各大学でした。結果詳細はこちらの資料をご参照ください。昨年出場していた台湾のチームは国際情勢を反映してか、今年は出場していませんでした。また、中国の国内に「大学ボート部」が存在するとは思いもよりませんでした。詳しくは後述します。

マスターズ(エイト及びクオドルプル男女、計4種目)、テルアビブクラブ(イスラエル)のみが海外招待、および中国各都市の地方ロウイングクラブ。これも、愛好者レベルの選手のいるクラブが存在することに驚かされました。ほとんどの種目で、上海クラブが優勝していました。上海が列強に租借されていた20世紀初頭から存在する、中国国内唯一といって良い、長い歴史を持つクラブです。海外での経験者がシートを占めていました。一人だけ明らかに中国人の選手が乗っていました。これについても詳細を後述します。マスターズ種目はほとんど上海がさらっていました。他のクラブは、ユニフォームに書かれたSince○○年、という年代が、ほとんどがここ2、3年でした。上海RC以外は中国(漢民族)系の選手でシートが占められ、大柄な、明らかにトップ級選手と、初心者然とした選手が混ざって漕いでいました。これに関しても後述します。

5、大会の進行

公式行事として、前日午前の公式練習、前日夕刻のマネージャーミーティング、当日の開会式、ARF会長王石氏とのチームマネージャー個別会見、レース、表彰式、ドラゴンボートレース(エキシビション)、エルゴリレー大会(エキシビション)、フェアウェルディナー、が予定されていました。このうち、荒天などのためにチームマネージャー個別会見とエルゴリレーはキャンセルされました。

公式練習時、ボートは「その辺にあるのを使って」ということだったので、めぼしいボート(WUDI製Internationalグレード、アルミウィングリガー)を確保しました。ほとんど使用されていないように見えました。これらのDeep Dive主催のイベントに使われ中国全土を旅していると思われます。オールは、当初WUDI製の小径オールのプロトタイプらしきセットを確保しましたが、残念ながらカラー(スリーブに取り付ける鍔(つば))が素材的にもろいようで多く破損しており、やむなく別のオールに取り換えました。

チームマネージャーミーティングで、レースの勝ち上がりは着順ではなくタイムレースで行われること、コース内ウォームアップはできないこと、ボートは抽選されることが言い渡されました。実は前もって、「ボートは抽選になる、抵抗したがOCが聞き入れない、君たちとケンブリッジ大学から強く使用艇抽選を拒否する要望をミーティングでしてほしい」と李氏に知らされていました。ですので、ミーティング中にも、閉会後も強く「今日使ったボートを使わせてほしい」と要望しました。これらの件から、レガッタ組織委にもロウイングをあまりよく知らない人も多く含まれていることが垣間見えました。

さて、レース当日、無事公式練習で使用し自分たち用にリギング調整したボートを使用することができました。ただ、マスターズ男子エイトでも共有されることになり、予選と決勝の間に再度調整を施しました。ですが、ピンの位置や角度などはそのまま使用していたようでしたので、スムーズに使用することができました。

京大クルーは予選第2組に出場、とくに競り合うこともなく危なげなく予選タイム2位で4艇での決勝Aにコマを進めました。予選1位タイムはインドネシア教育大学でした。京大はこのクルーに遅れること0.5秒でした。この大学には、国際レースの現場で互いによく知ったコーチが帯同していました(名前は難しすぎて覚えていません・・・先方はヒロシといってくれるのに失礼なことです)。彼によれば、ナショナルチームに所属する選手が3名含まれているとのことでした。といっても、代表のレベルではなく、今後代表入りを目指してナショナルトレーニングセンターでトレーニングしている選手、という位置づけのようです。この大学はナショナルチーム選手の供給母体である、というよりもインドネシアの競技人口はこの大学の選手とほぼイコールのようです。体育学部の入学生から、ロウイングに素質のありそうな、体格や体力特性のある選手をリクルートするのだそうです。このクルーにも、まだリクルートされたばかりの選手が1名乗っていたそうです。ケンブリッジ大は残念ながら予選で敗退しFinalB(FB)進出、最終順位5位でした。予選ではまったく精彩を欠き、香港嶺南大学に振り切られていました。香港嶺南大学には4名、もと香港ナショナルチームの選手が含まれていました。許コーチは「ルールに抵触しないのかな」としきりに気にしていました(そのルールは後述します)。ケンブリッジと嶺南大はFBでも当たり、FBではケンブリッジ大が勝利していました。嶺南大学の「もとナショナルアスリート」たちはやや太り気味、練習不足の感は否めず、2レース目は明らかに疲れが隠せませんでした。ケンブリッジ大は、時差調整不足を差し引いても力量は明らかに対校ではありませんでした。対校をこういった招待試合に呼ぶには法外なロイヤルティを支払う必要がある、と聞いていますので、さすがにこのレガッタにそこまでの資金力はなかったか・・・そもそもこの時期にケンブリッジ大の対校クルーは存在しないと思われます。昨年オックスフォード盾レガッタにエントリーしていた「オックスフォード大学」よりもややレベルは高かったかな、という様子のクルーでした。ただ、体つきを見る限り、フィットネスレベルは相当高そうでした。来期以降に軽量級対校を狙う母体の一部か、という印象を受けました。つねにメディアやボランティアスタッフに囲まれて写真撮影に忙しく、話す機会はありませんでしたので詳細はわかりません。プロモーターの許氏、李氏もはっきりとどのレベルかはわからないとのことでした。

さて、決勝では重量級3クルー(インドネシア教育大学、マレーシア理工大学、西安交通大学)に囲まれていました。表彰式で顔を合わせると、身長で平均10cm、体重15kgくらいは違いそうな体格でした。レース前、トップタイムのインドネシア教育大もさることながら西安交通大学にやや不気味さを感じていました。陝西省代表クルーの母体にもなっている、ということで許氏が優勝候補に挙げていたチームです。こちらは、すらりと身長が高く、平均体重はそこまで重くないかな、という体つきでした。コンディションは順風・順流でしたので、軽さを生かしてスタートから前に出る、出られる展開になったら出るまでスパート、というかなり雑な作戦で漕ぎだしました。コックスが今大会2レース目、昨年の優勝クルーでもコックスも務めた副将の田畑順也舵手でした。彼がうまくコントロールしてくれて、水上のウォームアップを限りある水域・時間でうまくストロークを重ねてくれました。これが大きな勝因だったといます。さて、レースはその雑な作戦通り、スタートから100mくらいで並んでいた西安交通大学を振り切ってトップに立ち、そのまま水を空けてゴールできました。ゴールした瞬間、私自身は日本で唯一招待されたクルーとして、責任を果たせた安堵が強かったです。

このレースの後、激しい雷雨に見舞われ、マスターズのレースは大きく順延されました。これが、いくつかの予定のプログラムが消化できなかった要因です。実は決勝のレース前にも雷鳴がとどろき、レースを中止したほうが良い、と進言しようかと思っていたところでした。決勝レース出場クルーが戻った途端、これまでの人生でも数回しか経験したことがない、というくらいの激しい嵐でした。

さて、順延したマスターズのレースの消化を待って、さらに会場設営など準備に散々待たされたすえに親善ドラゴンボートレースに選手を取られてさらに順延、もう日が暮れそうななかで表彰式が始まりました。決勝レースが午後1時台だったので、選手らは口数も少なく疲れた様子でしたが、表彰式が始まるとそこは若さで喜びを表現し、2、3位クルーともよく交流して、楽しげな様子でした。ここで驚いたのは、2、3位のクルーの体つきのデカさよりも、ARFの主要なスタッフがそこにいたこと、でした。会長である王石氏、2名の副会長もそこにいました。その光景を目の当たりにするまでは、中国の地方巨大都市であるハルビンが、成長する経済力を利用してスポーツイベントをホストしている、という認識から脱却できなかったのですが、この光景から、自分の認識を大きく改めなければならないことを感じました。

6、フェアウェルディナー

予定を大幅にオーバーしながら、全選手団は宿泊先から連れ出され、30分程度バスに揺られました。距離はたいしたことはなかったのですが、どうやら中州の真っただ中のインターチェンジからバスは細い道をあたかもぐるぐると同じ道を回るかのようにのろのろと走り、いくつかのゲートを超えた場所に連れ出されました。京大メンバーだけでなく、バスに乗り合わせたメンバーは皆疲れが隠せず、「もういいよ、宿舎でメシ食って寝たい・・・」というオーラが充満していました。しかしバスを降りて目にしたものは、予想を完全に裏切るきらびやかなパーティー会場でした。そこは、ハルビンきっての保養地である太陽島のただ中の、どうやらお金持ちの結婚式で使われる場所でした。パーティー用のローン(草地)と、その脇に天井一杯を埋め尽くすイルミネーションのもとにしつらえられたテーブル、そして我々を迎えたのは、開拓時代のアメリカ貴婦人のようにドレスアップした美しい女性(どうやら有名な女優さんだそうです)でした。その隣にARF会長の王石氏。ナショナルコーチ時代にレースやカンファレンス会場でいくつかのバンケットに行ったことがありましたが、ここまでカネのかかったものは見たことがない、というレベルのものでした。成金趣味も少々感じましたが・・・その最大は、ローンのあちこちで冷やされて供されていたワインの銘柄でしょうか。私はタイミングを逃して早々にテーブルに移動となり、飲めば良かったと後悔しました。

パーティーは、食事とともに、各国から招待された大学チーム(ただ一つ、マスターズで招待を受けたイスラエルのテルアビブクラブも)が、それぞれ3分程度の時間で芸を披露しました。トップだったソウル国立大学が、数年間に流行った「江南スタイル」のモノマネを披露して会場が笑いに包まれて盛り上がったところで、京大メンバーは真っ青になっていました。それもそのはず、「少しお笑い系の芸にしたら」、という私の提案をよそに、学生らは部歌の「琵琶湖周航の歌」を披露することに決めて準備をしていたからです。その後もお国柄を生かした渾身のパフォーマンスが続くなか、いつ京大に声がかかるかが皆目わからず、メンバーは食事もろくに喉を通らない様子に緊張してしまっていました。どうやら残るチームは二つ、となった時にケンブリッジ大が先に呼ばれ、「Hey Jude」を歌い始めた時には覚悟が決まった様子でした。優勝クルーにトリを取らせてくれた司会の意気に感じたか、メンバーは自己紹介から会場全体にしっかり届く声を出して、会場のライバルたちとともに体を揺らして、誕生100周年を迎えた部歌を歌い上げました。この歌を広く世間に知らしめた加藤登紀子さんはハルビンで生を受けたとか。縁を感じる時間でした。

各国のパフォーマンスのあとは、プロの雑技パフォーマーに合わせてメンバーが入り乱れて歌って踊って、となりました。学生諸君が、「こんな楽しみ方があったなんて」、と吐露する姿は発見でした。ラグビーのテストマッチでは、いまでもノーサイドのあと、対戦チームが一堂に会し、酒を酌み交わしながら試合を振り返るそうです。私がこれまで見聞きしてきた、各国の大学定期戦もそうでした。世界選手権が終わった日のパーティーは、ライバルと話したり、各国のお国柄も知ることができる貴重な時間。果たして国内選手権では・・・昨今は大学生の飲酒や「騒ぎ」に社会の目が厳しいこともあって、いわゆる「インカレナイト」が規制されています。そのほかのレースでも、終わったからといって少々緊張をほぐすこともほどほどに、学生らは「節度を持つ」ことが社会の強い要請になっています。いまや自分は「節度を持て」と言い含める側になっていますが、自分の競技人生を振り返っても、レースのプレッシャーから解き放たれた時の酒のうまさはやはり格別でした。大学4年生の大学選手権が終わった夜にあちこちの艇庫を訪問しながら飲んて騒いだ夜はいまも競技者としての思い出のなかで大きな位置を占める体験だったことを今さらながらに思い出しました。それに対して、あたかも行動を監視されているかのようないまの大学生選手がふびんにすら思えました。むろん、野放図に飲んだり騒いだりの無法地帯と化すことは避けねばなりません。しかし、なんらかの一定程度管理された健闘を称えあう場を甦らせることはできないものか、と思った次第です。

7、街中に呼び出され

帰りのバスで興奮は冷め、翌日のフライトに備えてさっさと寝ようとしていた時、許氏に「街中に飲みに行こう」と誘われました。やや気が進みませんでしたが、世話になっている氏の誘いを断れず、中心街へ参りました。そこでは、オープンスタイルの串肉バーベキューの居酒屋に、一般にはお目にかかれないような大柄な中国人の一団が既にできあがった様子で待っていました。いきなり現れた香港人と日本人の我々二人でしたが、大歓迎していただきました。歓迎とは、ほぼ全員それぞれから盃を受けての「ビールで乾杯」。眠気と酔いでまことにつらかったのですが、中国のRowingの現在を知るうえでたいへん有意義な勉強をさせていただく時間になりました。

総勢20名ほどの一団の3分の2ほどは、中国各地のクラブ(クラブ!)チームに所属する、元ナショナルレベルのアスリートたち、五輪メダリストも数人、いまも現役のメンバーもいました。多くがクラブにプロとして雇用されているそうです(詳細は次項)。残3分の1ほどは、ハルビン現地在住の実働部隊でした。

乾杯しながら、皆口々に「君のクルーは良かった」といってくださいました。外交辞令であることは重々承知ですが、2連覇であったという艇上のパフォーマンスもさることながら、メンバーの陸でのふるまいを褒めていただきました。いわく、*ボートを毎回きれいに洗っていたのは君たちだけだった。*到着してすぐに会場へ向かい、ボートのチェックと練習をしていた。*限られた時間でしっかりウォームアップしていた。*決勝ではいちばん小柄なクルーだったがよく揃った良いクルーだった。*ユニフォームを、靴下までキッチリ揃えていた。

これらは、ある意味、日本では当たり前のことでもあります。これには京大クルーが評価された感覚よりも、日本の「当たり前」を、その代表として見ていただく責任を果たせたかな、という思いでした。

「口々に」と書きましたが、私が彼らと中国語で話したわけではありません。私の隣の席にいた、Xue Mingさんが誠に流ちょうな英語で通訳をしてくださったからです。聞けば、上海RCの所属。欧米人がほとんどの上海RCで逆に目立っていた漢民族の風貌の彼でした。職業は人工関節の研究開発をしているエンジニアだそうです。アイルランドのダブリン大学でPh.D(博士号)を取得すべく研究室に所属している最中にボートに出会い、中国に戻った後に偶然クラブのメンバーと知り合い、上海RCに入ったそうです。Mingさんと話していて、彼がまさに、中国のボート界が変わりつつあることの象徴のように思えました。

8、変化する中国のRowing事情

今回のレースで大変驚かされたことが二つあります。一つは、やはり各国の大学をアゴ・アシ付きで招待した資金力。もう一つは、マスターズカテゴリーに多くの中国のローカルクラブが出場していたこと、大学カテゴリーにも中国国内の「大学クラブ」がいたこと、です。本レポートのここから先が、冒頭にも書いた「伝聞情報」と「所感」からなる読み物です。不正確なことも入っていると思いますがご容赦ください。

私の旧来の認識は、中国国内にはエリート選手以外のロウイング愛好者人口はゼロ、でした。Rowingタレントとして見出された10代の若者が、省のトレーニングセンターに入り、英才教育を受け、China National Games(省対抗の総合スポーツ大会)や五輪などの大きな大会を目指す、そのほかにはボート人口は存在しない、というのが北京五輪までの中国のRowingだったと思います。20年前になりますが、FISAコーチアカデミーで机を並べて学んだ武漢のRowingセンターのコーチが発言したことを私は非常に印象深く覚えています。私と、デンマークから参加していたコーチが、酒の席でやや批判的に「中国では漕ぎたい人が誰でも漕げるわけではないでしょ?民主的なシステムではない」と議論を吹っ掛けたところ、彼はこういいました。「Yes anybody can row, if he is good enough.」(もちろんできるさ、素質があれば)。その感覚に驚いた記憶が鮮烈だっただけに、目の前で「中国人愛好家」が漕いでいる姿は驚きでしかありませんでした。

数年前から共産党政権の指導の下、スポーツ振興政策が施されているそうです。北京五輪が一つのキッカケなのかもしれません。高齢化する社会において増大する医療費を抑制するための健康増進施策の一部という位置づけかな?と推察できます。聞くところに拠れば、ここ3年ほどの間に百を超えるロウイングクラブが中国各地に新たに設立されたそうです。その設立の資金の源は、各自治体政府・共産党と、「Deep Dive」だそうです。Deep DiveはARF会長の王氏肝煎りの基金であり、会社であり、ロウイングクラブである・・・そういわれても僕には理解不能でしたが、どうやらそういうことのようです。ちなみに王氏は不動産取引で中国トップクラスの会社のオーナー経営者だそうです。各クラブのクルーには、明らかにエリート、または元エリート、という選手が1人ないし2人乗っていました。その「エリート」漕ぎ手と、初心者然とした漕ぎ手が混ざってレースをしている、という様相でした。彼らは、ナショナルアスリート出身の、プロコーチ兼プロ選手なんだそうです。クルーの中にプロ漕手を何人までなら入れてよい、というルールも存在するそうです。中国政府の方針にうまく乗りつつ、クラブ組織を全国に整備し、ナショナルアスリート(その多くはリクルートされて以来ボートしかやってこなかった人たちです)のRowingスキルを買って有償のコーチ兼選手として配し、そこにやってきた愛好家たちにRowingの実際の姿を見せるために、また国内メディアを通じてステータスの高いスポーツとしてプロモートするために大々的な招待レースを企画し、フェアウェルパーティーのしつらえから見えるように欧米のごとくハイクラス社会の嗜みという位置づけのスポーツとして根付かせようとしている。そういった、王氏の「中国ボート界補完計画」のシナリオをを見せられた思いでした。大会会場は、一般市民の観客を全く想定していないような設営のされ方でした。ただ、そのレースに参加している愛好者、地元で動員された大学生ボランティア、そして招待されたメディア、に向けてこの光景を「見せている」のだと感じました。各クラブ、とくに本部である深圳や、北京の「Deep Dive RC」では、富豪の子息が大金を支払って、メンバーシップを争うように得ているそうです。そうやって、それぞれのクラブはクラブ存立基盤の面でも、パフォーマンスの面でも未来にわたって維持していく戦略なのでしょう。これらは中国における「上流社会」にRowingを根付かせ発展させようという王氏のプロジェクトなのではないか、そのストーリーの中に我々はひとつのピースとして参加すべく招待されているのではないか、という思いを持ちました。中国国内には、こういった招待レースがいくつか存在します。その全ぼうはいかなるものか、またそういった大会すべてにDeep Diveがかかわっているのかどうか、自分にはわかりません。ですが、少なくともいえることは、結果的に中国は国内のRowing選手、コーチ、スタッフ、(ボランティア)に国際経験を豊富に積ませている、ということです。日本は、2005(平成17)年の世界選手権以来、2014(平成26)年のアジアカップくらいしか国際レースをしていません。それに対して、中国では北京五輪だけでなく、多くのアジアレベルの大会(アジア/アジアジュニア選手権に加え、こういった国際招待レース)をホストしています。今回の遠征で、運営面でなにか問題に直面するたび、学生らは無邪気に「主催者はボートを知らないなあ」「日本では考えられないなあ」と話していましたが、そのたびに「実はRowingをわかっていないのは日本の方ではないのか・・・」という思いに駆られました。ARF会長国を日本ではなく中国に託したアジア諸国の思いも、こういったことに起因しているのではないかと感じました。

私自身が中国のクルーと闘っていた代表選手、コーチであった当時、こんなふうに思っていました。中国の選手は、皆わけもわからずリクルートされてきてボートに載せられ、「いい成績を取れば生活が保障される」という動機付けで漕いでいる。日本が中国に勝てるところは、ただRowingが好きで、やりたいという人がこのスポーツに取り組めること、そんな中でこのスポーツをやり通すと強い意志を自分自身で固めた人が多くいることだ、ということでした。その「勝っている要素」と思っていた部分はもしかすると、すでに負け始めている、あるいは圧倒されはじめているのかもしれません。日本はどうするのか?伝統を守ることは大切でありながら、そこから新たなステップを生み出すことを恐れていては、進歩はないのではないか、と感じずにはいられませんでした。

帰路、日本は今後中国に勝てるのか、と考えずにはいられませんでした。巨象といわれる隣人は、その巨大さをものともせず前進の歩みを大股に踏み出そうとしているように、この短い遠征で強く感じたからです。われわれ日本の漕ぎ屋の代表であるナショナルクルーの国際舞台での主戦場は、明らかに男女軽量ダブルスカルです。そういう舞台に将来立つべき、あるいはそのために切磋琢磨を繰り返していかねばならない選手らが、年間に一度か二度しかないエイトや舵手付きクオドの選手権試合のために練習を重ね、そのなかでも多くて2レースほどしか真剣勝負の機会がないシーズン構成は、やはり勇気を持って見直さねばならないのではないか、と感じました。

御礼

末筆になりますが、このたびの遠征を実現するにあたり、多くの方々のご尽力を賜りましたことを、厚く御礼申し上げます。パフォーマンスの面で「日本を代表」しているとはいまだ言い難いクルーでの遠征でしたが、本文に記したように、我々が当たり前ととらえて実践している、日本の漕ぎ屋の美徳や魂は刻むことができたことを喜びたいと考えています。今後、同様の遠征に出かけるクルーのご参考になれば幸甚です。

レース結果はここをクリック


China Open Rowing 2017に参加して
予選レースに向かう京大クルー。ブレードのマークは深潜(Deep Dive)。ブレードピッチが8本とも大きく前傾していた。


China Open Rowing 2017に参加して
勝利に沸く。このあと上陸してすぐに雷雨に見舞われました。


China Open Rowing 2017に参加して
男子マスターズ舵手《記:注》なし舵手なしクオドルプル表彰式。1、3位の上海RCが欧米人クルー主体であるのと、2位の南京金帆が中国人エリート選手を擁して好対照をなしていました。3位クルーのバウ(写真右端)が生粋の中国人のXue Ming博士。


China Open Rowing 2017に参加して
フェアウェルパーティーの様子。飾られたテーブル、天井を埋め尽くすイルミネーション、音楽ライブのようなステージ、ガーデンパーティーのスペース、いずれも日本で体験したことのないレベルで度肝を抜かれました。


China Open Rowing 2017に参加して
オールを片付ける各クラブコーチ(元ナショナルアスリート)。ブレード、シャツの胸、リュックにDeep Diveのロゴが見える。


China Open Rowing 2017に参加して
Deep Diveのバナー。右はARF会長の王氏。


China Open Rowing 2017に参加して
リギング中の京大クルー。艇庫は湿地上に鉄骨を組み、木で床を張って、天井にテント素材を張っている。


China Open Rowing 2017に参加して
インドネシア教育大学はインドネシアナショナルチームのユニフォームだった。奥はケンブリッジ大学。遠景に松花江大橋の支柱と太陽島の観光タワーが見える。