「日本のメダル獲得」のために(3)


ギザビエ・ドルフマン氏、岩本亜希子氏対談

いよいよ2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けての重要な2019年シーズンに向けての日本代表選手選考会(埼玉県・戸田)中の日本代表チーム。その日本代表チームを率いて4年目のギザビエ・ドルフマンNSD(ナショナル・スポーツ・ディレクター)へアスリート委員会を代表して岩本亜希子氏と対談を行った。

「日本のメダル獲得」のために(2)

2000年シドニー五輪、軽量級舵手なしフォア金メダリストでもあるギザビエ・ドルフマンNSD。 シドニー五輪からロンドン五輪まで過去4大会、オリンピックに参戦した日本の軽量級女子の第一人者である岩本亜希子氏が、ギザビエ氏の現役時代、金メダリストになるまでの苦しみ、そして今後の日本代表チームについて聞いた。

【日本ボート協会アスリート委員会】


◆選手時代について

岩本:よろしくお願いいたします。今日は、ギザビエさんの現役時代の話を聞きたいと思います。ご存知の通り、日本にはボートのオリンピックのメダリストがいません。最近では、U23では世界で戦える選手が少しずつ出てきていますが、シニアではまだ難しいという現実があります。ギザビエさんが、どうやって強くなって金メダリストになったのか、特にメンタル面でのお話を中心に聞かせていただけますか?メンタル面での成長や変化が現役の選手たちにとって重要ではあるのですが、ワールド・ローイング(World rowing)に掲載されているゴールドメダリストの英語の記事を、翻訳して読む時間がないというのも事実です。本日のギザビエさんへのインタビューの内容が日本語で掲載されることにも意義があると思っています。

ギザビエ:オリンピックの後、多くのインタビューを受けました。ひとつひとつのインタビューは違いますが、選手時代をどのように過ごしたのかといったことをよく聞かれます。

岩本:選手時代というと、20年近く前の話となりますが、よく覚えてますね。

ギザビエ:もちろんです。

岩本:では、まず競技をはじめた年齢と場所、クラブチーム、どこで始めたのかを教えてください。

ギザビエ:1989年の9月からグルノーブルのクラブチームでボートを始めました。

岩本:1989年というと、ギザビエさんが何歳のときですか?

ギザビエ:15歳です。

岩本:高校1年生くらいですね。

ギザビエ:ボートを始める前は、自転車をやっていました。当時から耐久性のあるスポーツは好きでした。

「日本のメダル獲得」のために(2)

岩本:ニュージーランドのボンド選手(ハミッシュ・ボンド:M2-でロンドン、リオ2つの五輪で金メダル獲得)は、ボート競技のあとに競輪選手に転向しましたよね。ボート競技を始めて、フランス代表になりたい、世界で1番になりたいと思ったのは、いつぐらいからですか? はじめからですか?

ギザビエ:フランスの代表とか、世界チャンピオンになりたいという気持ちは突然やってくるものではなくて徐々に、段階を経てやってくるものだと思います。例えばクラブチームに入り、ローカルのレガッタに参加する、そのレガッタで良い結果を残したら、次は国内大会に出る。国内大会で良い結果が出たらコーチや周囲の人たちとその次のレベルについて話し合って、まずは代表選手に選ばれるようにチャレンジしていこう・・・といった形で少しずつ夢が具現化されていくと思います。

岩本:まずはフランス国内で1番を目指し、フランス代表になって、世界での戦いに挑み、最終的に、表彰台に乗れるイメージですか? 初めて世界に行ったとき、手ごたえを感じましたか。

ギザビエ:私がナショナルチームに入った頃は、フランスはいくつかの好結果を残していても、世界レベルでベストと言えるチームであったわけではなく、少しずつ成長していっていたと思います。当初、軽量級がオリンピックに出られるかということも分からないまま競技を続け、1993年にFISA(国際ボート連盟)が軽量級もオリンピック種目に加えるように提案をして、ようやくオリンピックの正式種目になる決定を受けました。それまで、世界選手権止まりでしたが、オリンピックが具体的な目標となりました。こうして、段階的にレベルの高い目標に向かっていきました。

岩本:フランスはボート競技でメダリストを多く輩出しているので、日本でいう柔道やレスリングのように、日本で1番になればそれは、世界のトップに近いといったイメージがありましたが、世界との差を感じながらスタートしたということですね。

ギザビエ:カテゴリー(種目)や時期、世代によって違いますが、必ずしもフランスのトップだから世界のトップとは言えません。今日のボート競技では各国のレベルがかなり拮抗しているので、たとえフランスでトップ、世界でトップだとしても、すぐにトップから転落することもあるので、以前よりも確信がもてない状況だと思います。

岩本:私が現役のときは、とにかく自分のパフォーマンスをあげないといけないということに意識が向きがちでしたが、ギザビエさんはいかがでしたか。

「日本のメダル獲得」のために(2)
2000シドニー五輪日本代表。写真右(整調・ストローク)が岩本氏。写真提供:フォート・キシモト

ギザビエ:岩本さんと同じです。練習に集中すること、パフォーマンスをあげること、そして常に問題意識をもって練習に取り組むことを意識していました。私はまた、2回のオリンピックに出場するという貴重な経験をしました。オリンピアド期間(オリンピックまでの4年間)、つまり、アトランタ五輪(1996年)までの4年間と、アトランタからシドニー五輪(2000年)までの4年間の、2回のオリンピアドを準備期間として上手く活かすことができたのが特徴的だったと思います。1回目のの経験が、2回目のオリンピアドの時には活かすことが出来ました。

岩本:その大事なオリンピアド期間の中で、自信をなくす、また目標を見失いそうになったことはありますか。

ギザビエ:もちろんです。厳しかった、辛かった時が山ほどあります。楽だった時よりも、辛かった時の方が多かったぐらいです。自分の過去を振り返ってみると、私がフランスのチャンピオンになるまでにとても時間がかかりました。いつも2位、3位であったり、または4位であったり。なかなか1番になることができませんでした。フランスのチャンピオンになったのは1994年なので5年間かかっています。その5年間は辛い時期でしたが、どうやって困難に立ち向かうかを学んだ時間となりました。負けたとしても絶対に諦めることなく、「なぜ負けたのか」考え、解決策を模索し、「OK、今日は負けた。でも明日は違う。明日は勝つために必要なことをしよう」という心持ちで常に挑んでいました。心の中のモチベーションを高めることで、困難に立ち向かっていったと思います。

「日本のメダル獲得」のために(2)
1999年フランス選手権。写真左から3人目がギザビエNSD

岩本:アトランタ五輪で7位、次のシドニーでメダルを獲るとアトランタ五輪直後に思っていましたか。

ギザビエ:アトランタの後にそれまでのことを自分なりに分析しました。当時アトランタへの出場枠を14選手が競っていました。14選手の間で、オリンピックに出場することが目標となってしまい、オリンピックで良いパフォーマンスをすることが目標ではなくなってしまいました。オリンピックで表彰台に上がるためには、チームとしても、個々としてもより高いレベルを目指さなくてはならないと思います。アトランタ五輪前のことですが、自分にとって、辛い厳しい思い出があります。1995年の10月にナショナルチームの合宿が始まったその初日にドイツ人の監督から「きみは世界と戦っていけるような適性に欠けるので帰ってくれ」と言われました。ものすごく落ち込み、ボートのことを耳にすることもいやになり、競技を辞めてしまいそうな状態となりました。それでも再びボートに引き戻してくれたのは、所属クラブチームのコーチでした。彼がまたボートの世界に呼び戻してくれました。その時に一緒に漕ぐことになったもう一人の相方がとても素晴らしい選手だったので、一緒に練習することで自分も前に進むことができました。話が長くなるので、結果だけ言いますと、自分はアトランタオリンピックに選ばれて、相方は選ばれなかったのです。アトランタ五輪に出場する時、相方にこう言いました。「今回は自分が出場するけれど、出場する条件として約束してほしい。1997年には一緒に漕ごう」。その時、本当に辛い状況でしたが、逆にその辛い状況が自分自身の強いモチベーションにつながり、次のシドニー五輪へつながったと思います。

◆金メダリストになるまで

岩本:金メダルを獲得したシドニー五輪の話を聞きたいのですが、決勝のレース中はどのようなことを考えていましたか。金メダルを絶対に獲るぞと思ってやっていたのか、とにかくベストパフォーマンスを出そうということ、自分たちに集中していたのか。どのようなことを考えて決勝のレースに挑みましたか。

「日本のメダル獲得」のために(2)
2000シドニー五輪フランス代表。写真正面(整調・ストローク)がギザビエNSD

ギザビエ:セミファイナル(準決勝)とファイナル(決勝)の2つのレースのことをよく覚えています。セミファイナルでは、強豪オーストラリアが一緒でした。セミファイナルを前にして大きなストレスを感じていました。試合結果がどうなるかということをあまりにも考え過ぎて、なかなか眠れませんでした。結局、セミファイナルでは良い結果は出せませんでした。スタートをゆっくり出てしまい、レースが始まってからは徐々にクルーの動きがひとつにまとまり、何とかオーストラリアに近づいていきましたが、結局、負けてしまいました。そのレースの後に自分自身で、もしこのままこの状態を続けていたらまた失敗するから、絶対に続けてはいけないと思いました。オーストラリアとのレースは苦い経験でしたが、自分が今の状況ではいけないということを考えるきっかけになった良い経験だったと思います。レースの後に終わったことを考えることをもうやめて、次のレースに集中しようと、最高のレースをしよう、そのためには何をすべきか。集中してレースに臨めば最高のレースができる、最高のレースをすれば勝てるのだから、つまり最高のレースをすればよいという、とにかくシンプルな考えに落ち着きました。結果としてファイナルの前は、セミファイナルの前よりも良く眠れたし、目指すべき方向が明確になって、レースに臨むことができました。

岩本:それはチームミーティングで話し合ってたどりついたのか、個人で切り替えたことがよかったのか。クルー4人全員その意識を共有していたのですか。

ギザビエ:両方だと思います。個人個人が考えることも必要ですし、チームとして感情やビジョンを共有することも重要です。コーチが各選手たちの経験を鑑み、それぞれの経験値をベースに次に何をすべきか、最終的に皆の意見を集めてベストなプランを立てていきました。自分たちの経験値を集約して最高のプランを作り上げた結果、自分たちの長所、短所を完全に知り尽くしていましいたし、また自分たちの対戦相手の長所、短所も完全に知り尽くした上でレースに臨みました。

岩本:では、シドニー五輪のファイナルは自分の思い描いたとおりのレース展開だったのですか。

ギザビエ:完璧な試合だったというわけではありませんでしたが、勝つために必要なことをしたレースだと思います。

岩本:ギザビエさんのシドニーの決勝レースを見たのですが、3番と2番の人は勝った瞬間、ガッツポーズでしたが、ギザビエさんはずっと頭を抱えていました。どんな気持ちだったのですか。とても想像ができません。

ギザビエ:試合の前は、もし自分が勝ったら「やったー」と腕を挙げてとか思っていました。でも、そういうこと、試合の後に何が起きるかということを考えるのをやめるんだ、と自分に言い聞かせてやっていました。でも、もし勝ったらという思いがむくむくと湧き上がってきて、その繰り返しなんですが(笑)。とにかく、フィニッシュラインの前と後では、全く違う世界だと考え、フィニッシュライン前というのはとにかく試合、フィニッシュライン後というのは、考えたり喜びを表現したり、とにかくその線で世界が2つに分かれていると思っています。フィニッシュラインの前までは、とにかくストラテジーのことを考える、つまりオーストラリアを抜くということに集中していました。ゴールを切った時にすぐに自分たちが勝ったとわかりました。前後を見る必要もなく、勝ったということが体感ですぐに分かりました。ゴールを切ったときに、ビープが鳴り、世界チャンピオンになったことがわかり、その瞬間、5m立方ぐらいの巨大な鉄のかたまりが自分の上にのしかかってきたように感じました。

岩本:それは喜びですか。これから起こるプレッシャーですか。

ギザビエ:オリンピックで勝利を掴むということは、ボート選手にとって最高のことです。リスペクトの気持ちがあまりに大きすぎて、現実離れしているので、それを言葉で表現することが難しいです。

◆モチベーションの持ち方

岩本:シドニーの結果に満足しましたか。

ギザビエ:もちろんです。信じられないような冒険でした。それは、自分が今までたどってきた道と比較しても信じられないようなことです。

岩本:人生が変わったという感覚ですか。

ギザビエ:それほど人生が変わったとは思いません。ボートの試合で勝ったというということではありますが、それほど、人生が変わったということはありません。

岩本:日本のメダリストの中には人生が変わったとおっしゃっている方が多くいらっしゃいますし、また、外から見ていてもそう思えることが多いですが、フランスと日本はどこか違うのでしょうか。競技のために人生があるのではなく、人生のために競技がある。自分の人生が競技に振り回されないようにするにはどうすればよいのでしょうか。

ギザビエ:確かに、フランスでも人生が変わったと言う選手はいますが、特に若いアスリートたちは注意をするべきだと思います。もし勝ったら人生が変わってという考え方をするということは、試合の後のことにフォーカスしていて彼らのモチベーションが試合の後にいってしまうため、ゴールの手前に起きることをモチベーションにしなくなってしまうからです。そういう選手を見てきましたけれども、ゴールの後、つまり、もし勝ったらということにフォーカスしている選手は成功しませんでした。ボートに集中しているわけではないので、パフォーマンスも落ちますし、決して良い結果は出ていませんでした。試合の後どうなるかということと、その前の練習とその2つを混同してはいけません。

岩本:私もとても重要だと思いました。モチベーションをゴールの前に置くか、後に置くかということは大切ですね。

岩本:話題は変わりますが、ソチ五輪ではSNSの影響で、日本の選手はプライベートもなくなるような盛り上がりぶりでした。フランスでも同じような現象が起きているのでしょうか。

ギザビエ:確かにソーシャルネットワークなどが発達して、選手の周辺というのは自分たちの頃よりも変わっているとは思いますが、それは本質的な部分ではなく、周辺部分であり、それによってパフォーマンスの良し悪しが決まるわけではありません。一方、ソーシャルネットワークに対し注意は必要ですし、どのようにコミュニケーションをとっていくかということも学んでいます。

岩本:話を戻します。シドニー五輪の後、競技を続けた理由をお聞かせください。

ギザビエ:シドニー五輪の翌年に4人乗り(フォア)を続けようということになりました。フォアとエイトで世界選手権に参加し、若手の選手も乗せて自分たちの後継者を作るという新しいチャレンジでした。そしてそれは簡単なことではありませんでした。例えるなら、走っている自転車に横から棒で邪魔をして、前進することを妨げるような感じです。その年の世界選手権では勝ちましたが、スタッフやコーチたちと衝突し、信頼関係を築けなかったので、競技をやめようと決めました。

岩本:シドニー五輪の翌年にはオールを置くことを決めていたということですか。

ギザビエ:2001年にハイレベルの練習からは離れ、休息をとって考える時間をとり、2003年にスカル種目に転向してアテネ五輪を目指しましたが、2004年の選考で3位か4位に終わり、引退することにしました。

岩本:後悔はありますか。

ギザビエ:後悔はまったくありません。アスリートとして信じられないぐらい素晴らしい経験をしました。良かった経験からも悪かった経験からも多くのことを学びました。特に悪かった経験は、自分自身の人生を豊かにしてくれましたし、特に記憶に残っています。物事を違った角度で考えたり、人とは違った行動をおこせたりするようになったことは、悪かった経験のおかげだと思っています。

◆今後の日本代表チーム

岩本:ギザビエさんのオリンピックの話はここまでにして、これからは日本の代表チームや、今後のこと、若い選手たちについて聞いてみたいです。リオも入れて3シーズン日本チームをみて、日本人の特徴的な考え方やチームの雰囲気って何か感じていますか。

「日本のメダル獲得」のために(3)
2018年世界選手権日本代表チーム

ギザビエ:日本に来て以来、日本人らしさを目にし、日々学んでいます。1人1人性格が違いますが、矛盾を感じることがあります。日本の子どもたちの教育システムには、ほとんど自由がなく組織立っていて、画一的な印象を受けますが、大人になると、自由になり、独立心が芽生え、人間関係も複雑になります。

岩本:金メダリストのギザビエさんと同じように歩めば、日本のチームもメダルが獲得できるわけではありませんが、ギザビエさんが思い描くメダルへの道のりを教えてください。山登りに例えると、日本チームは今どのあたりにいるのですか。

ギザビエ:日本のチームはとても小さなチームです。小さなチームだからこそ、大きな飛躍も可能だと思いますが、ただ、ボートに関わる様々な組織の連携の改善が必要です。クラブチーム内での活動とナショナルチーム内での活動とを区別するのではなく、ボートに関わる様々な組織が一体となって環境を整えていくべきです。軽量級が変革の時期に直面していますが、皆が一丸となってオープンへも準備していかないとはなりません。

岩本:クラブチームで成長して、ナショナルチームを目指すのが日本の流れですが、フランスではどうですか。

ギザビエ:ナショナルチームを目指したいかというのは、ナショナルチームの出す結果と直結しています。世界レベルで結果を出せるナショナルチームなら、皆が参加したいと思うでしょう。ナショナルチームで国を代表して競技できることはとても幸せなことですし、名誉なことです。もちろん日本のナショナルチームも良い結果を残していけば、裾野は広がっていくはずです。

岩本:そうすると、やはり東京オリンピックが重要ですね。日本のボートだけでなく、すべてのスポーツにとって、岐路になる大会になるかもしれません。競技人口が増えて競技レベルが上がり、盛んになるのか、はたまた、衰退してしまうのか。日本のボートのナショナルチームは小さいチームで飛躍する可能性はあるとおっしゃっていましたが、飛躍するためのポイントを教えてください。

ギザビエ:良い環境で効果的な練習することが重要だと思います。例えば、良い環境下で合宿を行う、ケガをしたら注意深くフォローアップする、テクニカル・フィジカル・メンタルにおいて、継続していくことが大事だと思います。成功するための魔法や秘密のレシピはありません。練習内容を理解し、その練習の効果をあげていくということを念頭に置いて、継続することが重要だと思います。

岩本:ゴールドメダリストが持つ成功の秘密を聞き出したいと思っていましたが、やはり、シンプルに積み重ねいくことがとても大事だということが分かりました。印象的だったのは、モチベーションの持ち方、ゴールの後ではなく、ゴールの前、つまり、ローイングの中にしっかりモチベーションを持つべきだということです。特にボート競技は、辛くても、こつこつ積み上げていかなければいけない競技なので、目標を見失わずにチャレンジし続けていくことが重要なのだと、本日のインタビューであらためて感じました。最後に日本のボート選手たちにメッセージをお願いします。

ギザビエ:ハイレベルな肉体と精神のバランスを取り続けることが重要です。良い経験からも悪い経験からも多くを学び、考えて、人生に生かしてください。本日はこのようにお話しさせていただける機会をいただき、ありがとうございました。


<アスリート委員会より>
2019年世界選手権(オーストリア、リンツ)にて出場権を獲得し、2020年東京五輪を目指す日本代表チーム。 今年2019年は、3月22日(金)~3月24日(日)埼玉県戸田オリンピックコースにて「日本代表最終選考レース」が開かれます。 ますますレベルアップする日本代表チームを観に是非、会場へお越しください。お待ちしております。