公益社団法人日本ボート協会

Japan Rowing Association

日本ボート協会JARA

全国のオアズパーソンへの手紙(第4信)

2012年12月1日
日本ボート協会会長
大久保 尚武

日本漕艇協会は1920年(大正9年)に誕生しました。当時競技別の統括団体など誰も考えていなかった時代に、 ボートが日本で最初に協会を組織したのです。(翌年にサッカー、次いでテニス、ホッケーと続く)。 創立メンバーは7つの大学でした。

なぜ協会を作ろうとしたのか。これは非常に興味あるところなのですが、設立の趣旨は次の3点でした。 (日本漕艇協会編『漕艇75年』平成7年刊による)

  1. 国際競漕会に進出する準備として、シェル艇の採用、スカルの普及
  2. 漕艇統括団体(漕艇協会)の組織
  3. 選手権競漕会の開催

つまり、国際大会に出よう、シェル艇を普及させよう、全日本選手権を開こうと、 われわれの大先輩たちは、当時としてははなはだ先進的な意欲を持って組織作りを進めたのです。

そして第1回選手権競漕大会(シェルエイト)が同年(1920年)10月に隅田川で開催されました。 たった5校(当時シェルエイトを持っている大学が日本に5校しかなかった!)の参加でしたが、 隅田川の両岸を埋めた観客は10万人を超えたそうです。

因みに翌1921年の第2回競漕大会には、皇太子殿下(昭和天皇)のご台覧を仰ぎ乗艇して決勝レースを観戦されたそうで、 日本におけるボートの位置づけも、当時はイギリス並みに高かったのだと、あらためて今昔の感に複雑な思いです。

念願のオリンピック初参加は、1928年(昭和3年)のアムステルダム大会でした。 種目は舵手付きフォアとシングルスカルで、派遣選手は各校から選抜したピックアップクルーです。 オリンピックでのレース結果は、今から考えると無理もないのですが、残念ながらまったくの完敗。 主将が参戦記に「井の中の蛙大海を知らず」であったと大反省しています。

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ところで、JOCと東京都が、2020年のオリンピックを東京に招致しようと必死で運動していることは、 皆さんご承知のとおりです。わたしもぜひ開催できればと強く願っていますが、 JOCは「70パーセントは大丈夫だろう!」と言っています。

そして、もしこれが実現すると、なんと2020年はわが日本ボート協会創立100周年の年とドンピシャ一致するではありませんか。 なんたる巡り合わせ!これに気付いた時、わたしは思わず興奮してしまいました。

この記念すべき年の東京オリンピックでは、わがボート界長年の悲願であるメダルをどうしても取りたい。 今から8年、ボート界全員の願いを一つにして必死で努力すれば、メダルは必ず取れる。わたしはそう信じています。

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日本ボート界各層の人たちの意見を聴く会を、9月から始めています。

  1. 選手派遣元企業の代表者・監督など
  2. 大学の監督・コーチの有志
  3. ボート場所在地の市町村長
  4. 海外派遣の選手諸君
  5. 高体連ボート専門部の幹部の皆さん

と、これまでに5回開催してきました。まだ意見を聴いてみたい人がたくさんいますし、 また意見を言いたいという人もいるようですので、これからも何回か続けたいと思っています。

個別の発言内容はわたしからは公表しない(自由に率直に意見を言ってもらうため)と約束しているので、 誰からの意見とは言えませんが、実に貴重な意見をたくさん聴かせてもらっています。 出来るかぎり協会の方針・政策に取り入れ、一日も早く、 より強い選手を生み出せるより良いボート環境を作っていきたいと思っています。

わが不明を恥じなければならないことも多々あります。例えば「日本はボート人口が少ない。 もっと増やさなくては……」とあちこちで言ってきましたし、その前提で対策を打ってもきました。ところが、 「そんなことは全くない!」とたしなめられました。「オリンピックのメダル常連国であるデンマークを見てください。 毎日ボートを漕いで練習しているのは、たぶん200名くらいのものでしょう。 それで勝てるのです。」と言うのです。これにはギャフンです。 勝てない理由づけに「ボート人口が少ないから」と勝手に信じ込んでいたのかもしれません。

いま日本で毎日ボ-トを漕いでいる人はどれくらいいるでしょうか。 中学、高校、大学、社会人を合わせると(マスターズを除いたとして)4000人は超えるように思います。 たとえ半分の2000人としてもデンマークの10倍です。 これだけの漕手たちを、年齢・漕力などでキチッと層別して目標を定め、適切な指導・強化を続けていけば、 われわれの悲願に間違いなく近づけるように思います。 一番大事なのは、漕手本人たちがいきいきと活性化するような環境・体制作りでしょう。 それに向けた日本ボート協会の責任をあらためて重く受け止めています。

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今月紹介する本は半藤一利さんの『隅田川の向う側』(創元社)です。 昭和史研究家として有名な半藤さんが「ほんとにボート部なのですか?」と聞かれることがありますが、 昭和27年の東大エイトクルーを漕ぎ全日本選手権を取った、れっきとしたボートの大先輩です。 わたしも昭和34年に舵手付きフォアで、半年間だけでしたが、コーチを受けました。

半藤さんは若かりし頃、毎年正月休みに豆本一冊(70~80ページ)を書き上げ、 それを旧正月に年賀状として送るというとんでもないことを15年間続けていました。 わたしも数えてみたら手元に7冊残っていますが、 こんな酔狂は書くことの好きな編集者ならではの荒技でしょう。

この本はその内の4年分をまとめたもので、1984年の分が全編ボートの話。 内容紹介はほとんど不可能で、読んでもらうしかありません。 とにかく嘘か真(まこと)かわからない話もありますが、すべて抱腹絶倒、 昭和26年当時の隅田川界隈のようすがよくわかることだけは請け合います。

以上